2019の9月

8月が終わった。08/31という日は子供の頃であれば唯々絶望を感じることしかなかったのだが、今となっては安堵ばかりである。とはいえ、活動のための体力は常に地を這っている。原因は外部要因が90%、内部要因が910%である。要は自己管理ハイパーヘタクソマンなんでうs・・・

例の活動は

情報発信のためのwebサイト制作を行い、プロトタイプを作って公開したところまでは良かった。ただ、例のごとく発信できるコンテンツが何も無いため、さんざん(?)悩んだ挙句、レビュー記事を量産しようと考えたわけである。

金が無いのに何を大量にレビューできるのか?という話になるが、これは今どきのサブスクリプションサービス(定額制のやつ)を利用する。マンガやゲームなど、いくらでも読み放題やり放題である。で、やってみたのだが3日で飽きた。

やっぱり創造するか・・・ということで一度投げたマンガ描きにシフトチェンジした。描けたらサイトに公開します。

これから漫画を描こうとしているヤツの戯言

マンガ描きの核心はネームにあると思う。そしてネームの核心は「コマ割り」であると思う。コマ割りの技術が熟達すればマンガ描きの技術を手に入れたも同然と考えた。コマ割りは物語の抑揚と連動するのだから、物語を頭に思い浮かべると同時にコマをどう割っていくかが、言語の翻訳のように瞬時に浮かぶようになれば良いのだ。ストーリーを作ると同時に絵を描くための枠ができあがるのだから、あとはその空白を埋めれば良いだけである。

で、絵は?となるがこれも大体同じような感覚。まず画力に関しては慣れであろう。画力の本質は綺麗な線が引けるかどうかだと思うので、線を思い通りに引くことは毎日の基礎練習として必須であると思う。

で、マンガ描きで重要になってくるのは画力より構図力だと思う。構図力含めて画力と言えなくもないが便宜上分けた。とはいえやはり、画力と構図力は独立の事象かと思う。何故かというと、画力は「線を描く技術」で、構図力は「どんな線を描くかを設計する技術」だからである。

これはつまり、絵は構図のうえに成り立つものであって、画力がいくらあっても構図力が弱いと、極端に言えば「綺麗な変な何か」が出来上がってしまうのである。というわけで構図力はとても重要であると言える。

では構図力が高い状態とは?というと、本質としては「描きたい事象の特性」を熟知しているということになるかと思う。絵を描くとは、何らかの「有形」を表現するわけなので、その有形が自然法則にどのように従うかをそれなりに理解している状態ではないかと思う。物であればどの様に動くか、壊れるか、などを、動物の場合はそれに加え、関節の動きを熟知できれば良いだろうと思う。自然法則に従った構図は、上手い絵と言わせるための説得力を生むのであろう。

それを踏まえたうえで、自分が描きたい世界観の中で汎用性の高い事象を日々の基礎練習に据えれば(例えば、人間のやりとりが多い作品であれば、人間の基本的動作を模写するなど)恐らく思った以上の早さで描きたい絵が描けるようになるのではないかと考えている。以上、現時点では絵心マイナス1億の野郎の戯言である。

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