2020

明けましておめでとうございます。年明けに、長いこと顔を見ていなかったある人物と再会した。記憶の中の以前の落ち着いた彼と違い、途轍もなく高揚した状態でマシンガントークをしてきたのでまさか双極性障害になってしまったのではないか?と勘ぐってしまった。根拠として、顔を見なかった期間にそれなりの不幸があったことを聞いた。彼はその不幸に対して吹っ切れたというような感じだったが、本当に大丈夫だろうか。

双極性障害といえば、かつての小学校からの友人にも一人それに侵された者が居た。別に双極性障害アンチというわけではないが、彼は恐らく1型(躁状態の程度が強い)のタイプで、成人してから久々に出会いその事実を聞かされてから何度か遊んだのだが、とにかく躁状態の時が絶妙に手が付けられないのだ。はっきり言うとその人物はもともとあまり性格が良くなかったので、それにブーストがかかったような感じで、色々と振り回されたという感想しか残らなかった。

そういえば、身内でも鬱様症状を呈して自殺未遂を犯した者がいた。あの時は流石に焦った。自分の部屋で昼寝をしていて何やら騒がしい感じで目が覚めると家の中に救急隊員が居たというのは貴重な体験であろう。

まあしかし鬱は他人ごとではない。自分もなかなか厄介な性格なのでどちらかというとそのような症状を呈しやすいタイプである。先日書いた大殺界の中では本当に人生で最も堕ちた時期があって、あの時は危なかったと思う。

当時の経験からいえるのは、どれだけ心の拠り所を確保できているかにかかっている。そして自分の心の拠り所とは、大抵自分でない誰かの心になるのではないかと思う。家族でも友人でも、腹を割って話せる人間が居るのなら相談した方が良い。私の場合はそのような時でもコミュ障を拗らせていたので、自分の中で必死に自問自答しているとやがて、なぜ自分がこんなにも苦しまなければいけないのか?という途轍もない怒りに切り替わり、一応闇を脱した(新たな闇に突入したといえる)。

あとは被害者意識をなるべく持たないようにするべきか。一見被害を被ったように感じても、それは自分が行った言動から惹起されたものではないか?要は自分にも責任があったのではないか?というのはよく考えてみるべきである。「自分に非があったから反省する」という行いは、実は中々に論理的に悩みを解決できる手段であると自分では思っている。以上、思考停止勢の戯言。

新年の抱負

年明けから何語ってだバカタレという戒めを込めて気持ちを切り替えてやっていこうかそうだなそうしようそうしよう。前年と同じ場所へ年越し初詣に行ったわけである。おみくじは小吉であった。大吉を引きたかった。

願望:今は悪いがやがて叶う
前年に引き続き、努力継続を諦めるなということである。

失物:時過ぎれば出ない
そもそももう失うものが無い。

交際:虚栄を捨てて実直に交われ
今、私が最も交際している人物は私自身である。禅問答という名の自問自答?または自問自答という名の禅問答?を行い、己を必死に磨く毎日である。

病気:ながびく

ながびく

(追記:2020/1/13)

で、新年の抱負について忘れていた。去年(2019)は自分のやりたいことで生計を立てると宣言したものの、それは実現できずに終わった。まあ何もやらなかったわけではないのだが、全体的にモチベーションが低かったことは間違いない。しかし幾らか己の価値観に成長があったのもまた事実である。やはりなんとなくでも、動き続けることは何らかのきっかけを掴む可能性を高めることは確実であろう。

まず、今年の目標の本質は前年に引き続き、やりたいことで生計を立てられるようにすることである。貯金さえあれば今の仕事を辞めてこの作業に集中できるのだが、貯金が無いどころか借金地獄なので働きながらやるしかないところがクソアンドクソ。早く組織のしがらみから解放されたいと願う日々である。

やりたいこととは、己の闇をエンターテインメントという形で発信することである。ただ、クリエイティブな能力を何一つ有していない現時点ではそれは不可能。マンガ・アニメ制作、楽曲制作、ゲーム開発、色々ある中で去年はゲーム開発を軸に据えた。

しかし、コンピュータの吐き出すエラーへの対処が難し過ぎて、自分の脳のキャパシティを軽く超えてしまった。プログラミングの本質はコンピュータの機嫌をとる(というかコンピュータになりきる)ことにあると気付いた私は、自分のことで精一杯な今、堅物の面倒など見てられるかこのヴォケ、ということでマンガ制作にシフトした。のが去年9月頃である。そう宣言したまま、何もやっていなかった。

まあそれは良いとして、自分が思うプログラミングとマンガ制作の違いは、暗記で片付くか否かである。これは別にマンガ制作を下に見るという意図は全くないし、私自身憧れる技術であるからこそ、マンガを描きたいと思った。

ペンで線を引くことによる表現には、ランタイムエラーや論理エラー、構文エラー、コンパイルエラーなどのような堅苦しい制約は存在しないのである。もちろんある程度の作法はあるだろうが、それも極論を言えば無視しても鉛筆の芯が出なくなるとか無いのだ。絵の世界なら、ゼロ除算を無理やり行ってコンピュータをしばいても良いのである。

まあ何が言いたいかというと、マンガ制作は基礎理論を暗記でぶち込めば、あとは己の世界観を表現するだけで良いという一種のゴリ押しができる点で、プログラミングよりは敷居が低いと考えたのだ。ただそこまで行っても、去年の私では絵を描くということも、どのようにすれば習得できるかがイマイチピンとこない状況なのであった。

それから少し悩んだ結果、絵も言語の一種であるという考えに至った。要は「文字」として処理すれば良いということである。何回も同じものを描けばよいのだ。漢字をそうやって覚えたように。というわけで今年こそは結果を出す。

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